団体の歴史
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戦後復興と諸団体設立
岡山市
岡山市は,南の四国山地と北の中国山地の中間に位置し瀬戸内海に面する盆地で、東から吉井川・旭川・高梁川の3大河川を有する広大な岡山平野の中央に位置し,気候温暖かつ豊富な水資源と瀬戸内海の海産物に恵まれ,古代日本の製鉄の中心地でもあり、古代には吉備の国が日本の中心地の一つとして大いに栄え、巨大古墳や貝塚などの遺跡も多数存在する日本有数の歴史を有する地域である。
戦国時代から江戸時代にかけては,岡山城を中心とする城下町として栄え,明治22年に市政が施行され「岡山市」となって以後,政治·経済,交通,教育·文化,医療等の様々な都市機能を備えた中心都市として発展した。
戦後は,市民の復興への熱意もあって市勢は飛躍的に回復し,昭和47年の新大阪·岡山間の山陽新幹線開業を始め,瀬戸大橋,岡山空港,山陽自動車道,岡山自動車道等の広域高速交通網の整備が進み,平成21年4月1日に全国で18番目の政令指定都市となり,中四国地方の中枢拠点都市として発展を続けている。(出典: 岡山市産業振興アクションプラン )(協)岡山鉄工センターと岡山工業会の設立事情
戦後、戦災からの復興が進み始め昭和24(1949)年 には中小企業等協同組合法が制定され、共同購買、共同販売、共同生産、融資斡旋などの事業を通じて、中小企業の振興ができるようになった。
協同組合法制定で、岡山県では地域や産業単位の協同組合が多数設立された。戦後復興が進み水島コンビナート建設などもあり下請け製造業の育成が急務となり有志により全国にも先駆けて工場団地方式の協同組合が設立されることになったが、必要資金調達に困難があった。この救済のために岡山市が資金と事務局業務を担当し協力することになって、社団法人岡山工業会が設立されることになったという。
岡山工業会は岡山市の工業振興団体であるが、県レベルではその後岡山県機械金属工業連合会が組織された(現在は目的終了により解散)
戦後の復興が進む中で、法整備が進み中小企業の社団法人としては、地域の商工会・商工会議所などの団体ができ、岡山市には、岡山工業振興協会ができたという。
当時は、中小企業の信用事情が悪く資金調達に困難をきたしていた。岡山市内の中小企業経営者の鴻上社長らが岡山市(寺田 熊雄市長・社会党)に拠金を働きかけて、岡山工業振興協会を発展的に解散改組し金融事業もできる社団法人とすることになり
昭和36(1961)年4月9日に、岡山市の拠金を原資として中小企業金融支援になる手形割引など信用保証資金供給を目的とする社団法人岡山工業会が岡山市の外郭団体として岡山市役所内に創立され、岡山市職員も役員となり事務局も市役所が担当した。そして2年後の昭和38年に法人登記がなされた。
その後金融事情緩和により信用事業は行われなくなり優良従業員表彰や各種研修など公益事業を行っている、2025年現在では事務局業務は協同組合岡山鉄工センター事務局に移管された。
昭和36(1961)年5月27日岡山市に、全国でも先駆けて企業団地組合である協同組合岡山鉄工センターが設立された。
組合史より:協同組合岡山鉄工センターは、三菱重工業(株)三原製作所の協力会社を主体に市内の鉄工業者を加えて発足した岡山機械器具工業協同組合を母体とし、岡山県製缶工業協同組合の有志が加入し、昭和36年5月、全国で初めての集団化組合として設立されました。
岡山市の西側郊外に、日本初の画期的な広い面積の協同組合方式の工場団地を作るというものだったが、団地造成や工場建設と運営や設備設置に必要な資金の調達が問題だったようだ。岡山市の協力で工場団地ができることになったものの必要な資金調達で困難に直面したのだった。岡山市が設立した社団法人岡山工業会はその苦境を救うために設立されたという。
中小企業グループへ資金供給する国の制度である「高度化資金制度」は、昭和42年開始のため、それ以前の中小企業の資金調達は特に困難であった。
高度化事業は昭和42年に開始された歴史のある制度で、中小機構と各都道府県庁が一体となり、事業資金の貸付や事業計画へのアドバイスなどを行い、中小企業者で構成される組合の事業展開や都道府県の産業政策を後押ししています。
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岡山工業会
創立と法人登記・定款昭和36年(1961)年4月9日 社団法人岡山工業会創立
中小企業工場団地の協同組合岡山鉄工センターを設立することになったら、すぐに必要となる巨額資金調達問題が浮上した。
金融支援の必要性と社団法人設立を岡山市へ働きかけたのが光軽金属の鴻上社長で、法人の創立の場所が、岡山市役所内で、専務理事が岡山市役所上級職員だったこと、定款に中小企業の金融支援が記載されていることから、岡山市の中小企業支援を目的とする外郭団体として設立されたことがわかる。
当時の岡山市長は社会党の寺田熊雄氏(任期1959.5-1963.4)だった。次期市長は岡崎平夫氏で1963年5月選挙で当選し連続5期を務めた。団体創立の2年後になされた法人設立登記が寺田市長の任期切れ直前になされているのも興味深い。そして団体法人登記でも設立場所は創立時と同様に岡山市役所内で事務局も岡山市が担当した。社団法人岡山工業会設立事情 30周年記念行事パンフレット(PDF)より
(上記リンクよりパンフレットを表示・ダウンロードできます)
◎発祥 創立 昭和36年4月9日
昭和36年当時、岡山市内における機械工業を中心とした地場中小工業は設備の老朽化、多種小量生産企業の乱立、技術水準のおくれ等から著しい後進性を有しており、貿易自由化を直前にひかえてこれら中小企業の体質改善は急を要し、しかも水島工業基地は、日本五大工業基地として大きく脚光をあびており重化学、機械産業を中心とした新しい工業都市建設が日夜進められている状態でありました。
かかる現状からして大企業との系列化提携化を図り全体の工業基盤を拡大するためには早急に個々企業の近代化、合理化を推進する必要がありました。
昭和36年3月31日岡山工業振興協会理事会を開催のうえ、同協会を発展的に解散し、これを母体として、同年4月9日急激に発展している工業水準に対応するため、岡山地域の金属機械工業の有志を中心に団結を図り、企業の近代化、合理化を推進し、その発展を期すべく社団法人岡山工業会が創立されました。
名称 社団法人岡山工業会
所在地 岡山市大供22の 2 岡山市経済部商工課內
理事長 鴻上芳雄
予算額 198,553円
会員数 41名
30周年記念パンフレットより 歴代理事長(4代目まで)
歴代 氏名 任期 初代 鴻上芳雄 S36〜S59 2代目 湯浅和夫 S59〜S63 3代目 小橋照久 S63〜H3 4代目 中原希世士 H3〜
引用終わり岡山工業会の法人登記と定款
法人成立の年月日: 昭和38(1963)年3月12日
主たる事務所: 岡山市北区大供一丁目1番1号岡山市役所内
目的 :
工場の騒音、ばい煙、悪臭、用水の汚染等工業施設の社会一般に及ぼす弊害を調査研究し、その防止のために必要な施策を検討実施し、あわせて岡山地区産業の工業技術の向上と生産の合理化、設備の近代化等を行なうとともに、岡山地区の産業振興に資する事業、ものづくり産業の次世代を担う青少年の育成などを行うことを目的とし、この目的を達成するため、次の事業を行なう。- 工場の騒音、ばい煙、悪臭、用水の汚染等の調査研究及びその防止対策の検討実施
- 設備近代化のためのあっ旋指導
- 生産技術の向上のための指導及び従業員の技術指導
- 講演会、講習会及び展示会の開催並びに刊行物の発行
- 模範工場の視察調査
- 第1号及び第2号の事業実施のための金融助成、並びに融資保証
- ものづくりを通じた青少年育成事業
- その他上記の目的を達成するため必要と認める事業
設立時の役員
役職名 氏名 企業名 理事長 鴻上 芳雄 光軽金属工業株式会社 副理事長 藤井 康弘 株式会社藤井製作所 森安 利夫 岡山県陸用内燃機関工業協同組合 専務理事 田中 稔 岡山市 (注:S30岡山市商工観光課長) 理事 小坂 豊 株式会社小坂製作所 佐藤 成立 佐藤農機株式会社 石川 隆 光軽金属工業株式会社 湯浅 和夫 東洋自動車工業株式会社 松田 猛 有限会社松田工作所 高山 寅雄 高山産業株式会社 信近 高雄 岡山市 (注:S39企画調査室主幹) 佐藤 紀一郎 日本産業株式会社 河野 渡 株式会社山陽鋳造所 田淵 啓益 合資会社三田鋳造所 岡崎 昌教 有限会社石原鉄工所 監事 勝矢 定 土肥工業株式会社 太田 英利 株式会社太田鉄工所 参考情報: 岡山工業会初代理事長となった鴻上社長の光軽金属工業 創業の歴史
1944年(昭和19年) 5月 - 住友通信工業の協力工場として発足。
1959年(昭和34年)10月 - 埼玉県上尾市へ東京光軽金属株式会社を設立。
1966年(昭和41年)10月 - 銅合金鋳造部門を分離し光友合金工業株式会社を設立。
1968年(昭和43年) 6月 - ダイカスト部門を開設。
1971年(昭和46年)10月 - 瀬戸工場を開設。
1973年(昭和48年)1月‐埼玉県上尾市から岡山県赤磐郡瀬戸町に移転 -
発足の経緯解説
岡山市の工業史と戦後の中小企業振興策 岡山市HPより
岡山市の工業は、明治初期には農産物を原料とする酒、味噌、醤油などの食料品が中心であったが、明治14年に近代化設備を誇る岡山紡績所が設置され、近代工業の第一歩を踏み出し、繊維工業と食品工業部門を二大支柱として次第に発展していった。
大正時代、特に第一次世界大戦後は、岡山市の工業が飛躍的に発展した最初の段階である。前述の繊維工業及び食品工業のほかゴム工業の勃興があった。
昭和に入って恐慌の時期を境に繊維工業の比重は減少し、食品工業、ゴム工業さらに船舶用及び農業用石油発動機の著しい生産増加により機械金属工業の比重が増加していった。
昭和13年に軍需産業指定工場が続出した結果、繊維工場の構成比は加速度的に低下したが、その反面、機械金属工業、化学工業及び食品工業は漸次増加の傾向をたどり、やがて太平洋戦争に突入すると既存の各種工場は軍需品生産工場に転換し、軍需工業一本の工業体制が確立された。なかでも、昭和16年に児島湾の干拓事業が完成した岡南地域は、軍需工場の新設が相次ぎ、終戦に至るまでの10年間は飛躍的に発展していった。
戦後、岡南地区の大工場は解散閉鎖して工業の復興は容易に進展しなかったが、復興の努力は随所にみられ、戦後3~4年を経過すると商業の回復及び農業生産力の増大に伴い、いち早く食品工業が復興し、ついで繊維工業など諸工業が次第に復興のきざしを見せ始めた。
昭和24年の為替レート決定による外国貿易の再開と朝鮮戦争による特需景気により日本経済は発展の期を迎え、国土開発、産業振興のスローガンのもとに公共投資が開始されたが、岡山市においても岡南地区の工業基地化を目指して岡山港の改修と道路の整備が急ピッチで行われ、昭和28年に工場設置奨励条例を制定して企業誘致に努めた結果、同地区一帯の工業化が急速に進展していった。
昭和30年代の高度経済成長期に入ってから設備投資意欲は一層活発化し、岡南、新岡南、西大寺地区の臨海部及び東岡山地区一帯を中心とする内陸部に新規企業の進出が相次ぎ、生産額は著しい伸びを示した。
一方、既存の中小企業においては、大企業との生産性格差の拡大、労働力の逼迫(ひっぱく)による賃金格差の縮小等から存立基盤をおびやかされる結果となったため、 岡山市においてはこれら中小企業の健全な育成を図る目的から団地造成による協業化を促進した。昭和38(1968)年3月に全国中小企業団地のトップを切って久米地区に(協)岡山鉄工センターが・・・完成した。 ※出典 岡山市の工業の概要(岡山市HP)
協同組合岡山鉄工センターができることとなったが、当時の金融機関が中小企業の手形割引を引き受けなかったため、中小零細組合員には金融支援が必要との認識が生まれ理解を示した岡山市の賛同を得て、中小企業経営者らが協力して支援組織として市の拠金を得て昭和36(1961)年4月9日社団法人岡山工業会が発足し岡山市の拠金を融資保証に利用することで会員の中小企業は手形割引ができるようになったという。
そしてこのころに、岡山県の機械金属工業関係の組合と企業が県レベルの団体を作ることとなり、社団法人岡山県機械金属工業連合会が設立された。岡山県では岡山工業会と岡山県機械金属工業連合会が製造業の発展に重要な役割を果たすこととなった。
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岡山商工会議所
概要と沿革
岡山商工会議所は岡山市内の企業や事業者約7,500社が業種や事業規模の大小に関わりなく会員となって、商工業の繁栄や地域の発展のために活動を行っている総合経済団体です。明治12年12月に中四国初、現存する全国515商工会議所の中では全国9番目に設立
商工会議所は、国の法律「商工会議所法」に基づいて設立された商工業者の会員組織による「地域総合経済団体」
岡山商工会議所ビルの1Fに広い商工会議所事務局と多数事務局員がおり、ビル内には貸し会議室があり、また多くの団体・企業や新聞記者クラブなどが入居している。多数の事務局員の人件費を含め、その運営費用は岡山市の補助金・会員の会費・開催事業への参加費でまかなっているという。
岡山県機械金属工業連合会・岡山県機械金属工業厚生年金基金・鉄工会の3団体の事務局も、岡山商工会議所会館2Fの一室に共同事務所を構えていた。
公益社団法人岡山青年会議所
岡山県の企業人育成には、JC 岡山青年会議所の存在を抜きにしては語れない。2010年の60周年記念誌には、歴代の理事長の氏名や業績が記載されているが、その後の岡山県政治・経済界の重鎮がそこから育っていったことがわかる。
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経営者会合
県内の工業経営者が定期的に顔合わせる機会
2025年現在、岡山県内の工業経営者が一同に会する機会をまとめてみた。
銀行の会 都銀・地銀・商工中金・日本政策金融公庫(中小公庫)の融資先経営者の友の会・役員会で、経営者や後継者の会がある 岡山県中小企業団体中央会 総会や役員会では県内の商工業の組合代表者が集まる 岡山県商工会議所連合会 各市町村単位の商工会議所の県単位の連合会 岡山県商工会連合会 地域ごとにある商工会の県内の連合会 岡山県経済団体連絡協議会 県下の経済5団体、岡山県商工会議所連合会、岡山県経営者協会、社団法人岡山経済同友会、岡山県中小企業団体中央会、岡山県商工会連合会を構成団体 全国ビジネス企業年金基金 岡山県機械金属工業厚生年金基金が母体となっているため、役員には岡山県の工業経営者が多い 異業種交流会 岡山県産業振興財団が組織し事務局務める中小企業の異業種交流会で、多数あるプラザとその連合会・自立化推進研究会の4研究会とその合同会、および後継者育成塾OB会の吉備継世会 岡山工業会 岡山市の工業経営者の団体で岡山市とも交流がある一般社団法人。2024年7月に工業用地取得困難問題を岡山商工会議所と連名で岡山市長に要望した。 -
岡山県
産業史岡山県の産業
岡山は、地形的に南の四国山脈と瀬戸内海、北の中国山地に挟まれて気候温暖、台風の大雨や風雨や冬の大雪も平野までは届かず、大地震もなく、広い蒜山高原を源流とする三大河川(吉井川・旭川・高梁川)により干ばつも少なく、しかも中国四国地域では唯一最大規模の広い平野があり、さらに瀬戸内海に面し多彩で豊富な農産物・漁獲と、山陽道と瀬戸内海の海運という交通の便に恵まれた地域である。


古代には吉備王国があり日本のたたら製鉄業の中心地で強大を誇り日本でも有数の大きさの古墳や最古級の遺跡も多数存在している。山々から製鉄原料の砂鉄を切り出したために下流域が埋まって、吉備の中海という広大な浅海が陸地になって現代の地形ができたという。
たたら製鉄の中心地が島根に移った後、江戸時代は備前・備中は池田藩となり、児島湾の干拓や旭川の洪水対策と新田開発を目的とした巨大放水路百間川の開削工事により広大な新田を獲得し富裕となった。
一方、倉敷は幕府直轄の天領となり、瀬戸内海を利用した製塩業も大きく発展した。広い平野を背景に、農業が主要産業で米麦綿花、い草栽培を背景に酒造りや紡績業・畳表生産が盛んだった。戦後は、食料不足対策で農業機械生産が増加し一時は日本の農機の最大の供給基地となった。
広島県東部の三菱重工三原製作所の製紙機械や印刷機、倉敷南部の三菱飛行機生産と戦後の三菱自動車製作所、玉野の三井造船や舶用エンジン、福山や水島の製鉄所の設備メンテナンス、農機具のヤンマーの製造子会社で岡山市内にあったセイレイ工業などの下請け企業が機械加工技術指導を受けるなどで次第に成長してきた。紡績から分化したジーンズ生産では児島地域や県西部が世界的にも有名で、畳表生産から模様織の花茣蓙へ進化しブルーシートへと発展した織機とそれを利用した産業も起こった。
県中部の津山では、ステンレス加工産業が成長し現在は津山ステンレスネットを形成している。幕末から明治初期にかけての岡山県の主要産物は、米・麦・綿花でこれを利用した酒造りと工業では紡績業が盛んだった。今に続く倉敷紡績の発展が目覚ましい。
紡績業以外で全国中における岡山県で顕著な産業(15)として,煉瓦が4位,畳表・茣蓙・花莚が1位,麦稈経木真田が1位に位置していることなどがあげられるであろう。特に,畳表・茣蓙・花莚は,1895年は織物業の2倍以上の生産額を示しており,紡績業に匹敵する産業である。また,1905年においても織物業を上回る生産額であることからすると,当時の岡山県の最重要物産であったといえる。さらに,1919年には織物業が畳表・花莚を上回り,紡績業に続く大きさとなっている
※麦稈経木真田(ばっかんきょうぎさなだ)とは、麦わらや薄く削った木材を平たくつぶし、真田紐のように編んだもの。明治時代以降に岡山で製造が始まり、欧米に輸出された。麦わら帽子の材料。
岡山県資料 水島工業地帯概要
水島工業地帯は、現在の岡山県の製造品出荷額等の約半分を占めており、岡山県産業の中核をなしています。
発展の歴史
現在の水島臨海工業地帯がある水島地区は、戦前、漁業と干拓農業を主とする農漁村でした。
戦後、1953年に岡山県は、大型船舶の入港を可能にするために、船舶泊地の浚渫に着工し、発生する浚渫土砂で海面を埋め立てて工業用地を造成しました。
こうした中、「大企業の誘致によって産業構造を高度化し、その影響下で中小商工業や農林漁業対策をはじめ、終局的に各産業のすべてを栄えさせ、県民生活の向上を図る」という構想の下に、岡山県ではさまざまな企業を誘致してきました。和 暦 西 暦 出 来 事 天正12年 1584年 宇喜多秀家による高梁川河口潮止め堤防の築造 元和~寛永 1600年代前半 高梁川河川の干拓、児島と陸続きになる 大正6年 1917年 三井造船玉野造船所設立(三井造船100年史) 大正14年 1925年 東高梁川が廃川地となる(454ha) 昭和18年 1943年 水島臨海鉄道の開通 三菱自動車工業(株)水島製作所が操業開始 昭和20年 1945年 水島空襲、工場が壊滅 昭和31年 1956年 (株)クラレ倉敷事業所(玉島)が操業開始 昭和35年 1960年 三菱ガス化学(株)水島工場が操業開始 昭和36年 1961年 ENEOS(株)水島製油所が操業開始 中国電力(株)水島発電所が操業開始 昭和39年 1964年 三菱ケミカル(株)岡山事業所が操業開始 岡山県南地区が新産業都市に指定される JFEスチール(株)西日本製鉄所(倉敷地区)が操業開始 昭和42年 1967年 倉敷市・児島市・玉島市が合併し、倉敷市に 2020年代の岡山県の工業
岡山県の工業の現状は、岡山県産業振興財団が主催しているOTEX(おかやまテクノロジー展)が解りやすい。世界有数のシェアを持つ中堅企業に育った元中小企業や元気印の中小企業が多数出展する岡山県内製造業の技術展示商談会だ。
岡山県は、優れた技術や製品を持つ企業が多くあり、県内総生産のうち製造業の占める割合が全国平均を大きく上回る「ものづくり県」です。
『おかやまテクノロジー展(OTEX)』は、機械系ものづくり企業の展示商談会としては中四国最大級で、「ものづくり県おかやま」を広くアピールするため、2016年から開催しています。
OTEX2024リアル展は2日間で過去最高となる延べ12,580人が来場
リアル展スライドショー(youtube動画)
- 開催日時 2024年11月13日 ~ 2024年11月14日
- 会場 コンベックス岡山 大・中・小展示場
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謝辞
編集後記岡山県内の工業系の2団体が解散する事態となり、往時の活動など事績を残したいとの意見がでて、各団体理事長の宮原様、専務理事の三宅様の賛同を得て設立からの経緯等調査開始したところ、団体発足当時の方々は既に多くが鬼籍に入られており、その経緯について知っておられる方が少なく、わずかに残っておられるご高齢の岡山工業会の元理事長湯浅信夫様と連合会の元専務理事松田吉隆様のお話が参考になった。今回の企画で、団体の設立経緯が記録として残せたことは幸甚の極みと思えます。また岡山工業会の上本様に提供戴いた設立時の資料が参考になった。他にも多数の資料を引用し、いずれも文中に出所を記載した。
ここで紹介した記事は、上記の記録の一部から岡山工業会部分を引用したものです。
ご協力いただいた皆様には、深く感謝申し上げます。岡山県機械金属工業連合会関係3団体記録編纂の会有志一同
編集 藤原愼二