団体の歴史
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戦後復興と諸団体設立
そして現在までの概況岡山県機械金属工業連合会と関連団体の概要
戦後、戦災からの復興が進み始め昭和24(1949)年 には中小企業等協同組合法が制定され、共同購買、共同販売、共同生産、融資斡旋などの事業を通じて、中小企業の振興ができるようになった。協同組合法制定で、岡山県では地域や産業単位の協同組合が多数設立された。
中小企業の社団法人としては、地域の商工会・商工会議所や商業関係の団体があったが、工業専門の団体はなかった。
当時は、中小企業の信用事情が悪く資金調達に困難をきたしていた。岡山市内の中小企業経営者の鴻上社長らが岡山市(寺田 熊雄市長・社会党)に拠金を働きかけて
昭和36(1961)年4月9日に、岡山市の拠金を原資として中小企業金融支援になる手形割引など信用保証資金供給を目的とする社団法人岡山工業会が岡山市の外郭団体として岡山市役所内に創立され、岡山市職員も役員となり事務局も市役所が担当した(その後金融事情緩和により信用事業は行われなくなり優良従業員表彰や各種研修など公益事業を行っている、2025年現在では事務局業務は協同組合岡山鉄工センター事務局に移管済み)。昭和36(1961)年5月27日岡山市に、全国でも先駆けて企業団地組合である協同組合岡山鉄工センターが設立された。
協同組合岡山鉄工センターは、岡山市の西側郊外に、日本初の画期的な広い面積の協同組合方式の工場団地を作るというものだったが、団地造成や工場建設と運営や設備設置に必要な資金の調達が問題だったようだ。岡山市の協力で工場団地ができることになったものの必要な資金調達で困難に直面したのだった。岡山市が設立した社団法人岡山工業会はその苦境を救うために設立されたという。
昭和23年10月に岡山県信用保証協会が設立され、昭和36年には融資残高30億円に達していたが、上記の岡山市の対応からは中小企業が保証協会の保証を受けることが相当に難しく、また必要な資金レベルに対応してもらえなかったと推察される。
中小企業グループへ資金供給する国の制度である「高度化資金制度」は、昭和42年開始のため、それ以前の中小企業の資金調達は特に困難であった。
高度化事業は昭和42年に開始された歴史のある制度で、中小機構と各都道府県庁が一体となり、事業資金の貸付や事業計画へのアドバイスなどを行い、中小企業者で構成される組合の事業展開や都道府県の産業政策を後押ししています。
戦後の高度経済成長に伴い退職者数・退職金額が急速に増加したことにより、退職金の支払負担を平準化することが企業経営上の課題として注目されるようになった。このような状況を背景に、昭和37年に法人税法および所得税法に基づく適格退職年金制度が、昭和40(1965)年に厚生年金保険法に基づく厚生年金基金制度が創設された。 出典 企業年金連合会
昭和41(1966)年に妹尾達道氏(せのおたつどう・美星町出身・海軍経理学校卒・後の岡山市議会議長)が滝澤鉄工所社長の滝沢満雅氏に働きかけ、彼らの説得により県内各地の産業団体や協同組合多数の連合会として社団法人岡山県機械金属工業連合会が設立された。専務理事と事務局職員2名で運営したが、収入がなく給与も払えない状況だったという。
昭和46(1971)年に岡山県機械金属工業連合会を母体として、岡山県機械金属工業厚生年金基金が設立された。年金基金設立により受け入れた掛け金を預金した金融機関が融資に好意的に対応してくれるようになり、これを利用した信用事業が可能となった。
昭和49(1974)年に岡山県機械金属工業連合会を母体として、協同組合岡山県鉄工会が設立され、中小企業の手形割引・団体生命保険の仲介・ガソリンなど燃料販売事業などを行うこととなった。当時は手形割引需要が多く割引残高額が何億円にもなり、生命保険も契約数が増えて協同組合事業は軌道に乗り、経営が安定し、母体の連合会の職員も兼務で給与が払えるようになった。
連合会を母体として生まれた年金基金・鉄工会の関係3団体が、岡山商工会議所会館の2階の1室に事務所を構え事務局を相互兼務して運営していた。岡山県レベルでの工業団体として唯一の存在で、岡山県内の工業の経営者がそれぞれの総会・役員会・懇親会で顔を合わせる場となった。各団体の会合合計して年10回程度顔合わせや懇親の場を持つことで、岡山県での工業を営む中堅企業経営者の名誉ある団体となっていたのだ。
なお、連合会の単独事業としては、年一度の優良従業員表彰を総会開催日の午前中に行い、昼食懇親会も行った。
高度経済成長が終焉を迎えた1990年以降、金融事情の緩和や金融庁の指導、行政の産業支援、民間年金基金の信用事故による国の国民年金代行委託廃止などの動きが重なり、各団体の信用事業は終焉を迎えた。一般社団法人化による過去の公的資金の計画的消費は団体の資金枯渇の原因となった。
2020年代になると、岡山県機械金属工業連合会は資金枯渇寸前となり、会費値上げは理解得られず、当初の設立の目的は達成されこれ以上の維持は困難との議論が巻き起こり、清算を選択することとなり2023年に清算終了し解散した。
その名称を受け継いだ鉄工会は手形廃止や団体保険の契約減少による保険会社の契約打ち切り通告を受けて事業の根幹が消滅する事態となり、2026年に清算することとなった。
国の方針もあり多くの民間年金基金が廃業を選択した一方で、経営改革に成功し業績を大きく伸ばした岡山県機械金属工業厚生年金基金は維持存続を選択し、国の年金代行返上を機に減少した運用資金規模拡大が必要と判断し、多くの民間年金基金との合併や新規加入を呼びかけ全国年金となり名称を「全国ビジネス年金基金」へと改称し大きく雄飛したことは、その母体であった私たちの誇りである。
年表
年月 団体 昭和36(1961)年4月9日 社団法人岡山工業会創立 昭和36(1961)年5月27日 協同組合岡山鉄工センター設立 昭和38(1963)年3月12日 社団法人岡山工業会法人登記(設立) 昭和41(1966)年 社団法人岡山県機械金属工業連合会設立 昭和46(1971)年2月15日 岡山県機械金属工業厚生年金基金設立 昭和49(1974)年10月21日 協同組合岡山県鉄工会設立 令和4(2022)年4月 全国ビジネス企業年金基金に改名 令和5(2023)年9月8日 一般社団法人岡山県機械金属工業連合会解散 令和8(2026)年 協同組合岡山県鉄工会解散予定
(岡山県機械金属工業会と改名)戦後80年で復興の時代が大きく終わり、新しい時代を迎えたのだ。
この経緯を、記憶消滅の前に記録に残すことができたのは幸甚である。
協力いただいた皆様に感謝する。 -
1961年
5月27日昭和36(1961)年5月27日 協同組合岡山鉄工センター設立
全国に先駆けて企業団地組合が岡山市に設立された
組合史より:協同組合岡山鉄工センターは、三菱重工業(株)三原製作所の協力会社を主体に市内の鉄工業者を加えて発足した岡山機械器具工業協同組合を母体とし、岡山県製缶工業協同組合の有志が加入し、昭和36年5月、全国で初めての集団化組合として設立されました。
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1963年
3月12日昭和36(1961)年4月9日 社団法人岡山工業会創立
岡山県機械金属工業連合会が協同組合鉄工会を設立し、手形割引を行って会員企業の金融支援を行ったが、このモデルとなった可能性があるのが、先行して設立された社団法人岡山工業会である。そこで、その定款や成立時の関係者や役員等を参考に記載する。
全国に先駆けて設立された製造業団地組合である協同組合岡山鉄工センターにより中小製造業の資金調達問題表面化したようだ。金融支援の必要性を岡山市へ働きかけたのが光軽金属の鴻上社長で、対応するために社団法人を立ち上げた。その登録場所が、岡山市役所内で、専務理事が岡山市役所上級職員だったこと、定款に中小企業の金融支援が記載されていることから、岡山市の中小企業支援を目的とする外郭団体として設立されたことがわかる。当時の岡山市長は社会党の寺田熊雄氏(任期1959.5-1963.4)で、下記定款に示すように任期が切れる直前に創立の2年後に法人登記(設立)されたことは興味深い。次期市長は岡崎平夫氏で1963年5月選挙で当選し連続5期を務めた。岡山工業会 定款
法人成立の年月日: 昭和38(1963)年3月12日
主たる事務所: 岡山市北区大供一丁目1番1号岡山市役所内
目的 :
工場の騒音、ばい煙、悪臭、用水の汚染等工業施設の社会一般に及ぼす弊害を調査研究し、その防止のために必要な施策を検討実施し、あわせて岡山地区産業の工業技術の向上と生産の合理化、設備の近代化等を行なうとともに、岡山地区の産業振興に資する事業、ものづくり産業の次世代を担う青少年の育成などを行うことを目的とし、この目的を達成するため、次の事業を行なう。- 工場の騒音、ばい煙、悪臭、用水の汚染等の調査研究及びその防止対策の検討実施
- 設備近代化のためのあっ旋指導
- 生産技術の向上のための指導及び従業員の技術指導
- 講演会、講習会及び展示会の開催並びに刊行物の発行
- 模範工場の視察調査
- 第1号及び第2号の事業実施のための金融助成、並びに融資保証
- ものづくりを通じた青少年育成事業
- その他上記の目的を達成するため必要と認める事業
設立時の役員
役職名 氏名 企業名 理事長 鴻上 芳雄 光軽金属工業株式会社 副理事長 藤井 康弘 株式会社藤井製作所 森安 利夫 岡山県陸用内燃機関工業協同組合 専務理事 田中 稔 岡山市 (注:S30岡山市商工観光課長) 理事 小坂 豊 株式会社小坂製作所 佐藤 成立 佐藤農機株式会社 石川 隆 光軽金属工業株式会社 湯浅 和夫 東洋自動車工業株式会社 松田 猛 有限会社松田工作所 高山 寅雄 高山産業株式会社 信近 高雄 岡山市 (注:S39企画調査室主幹) 佐藤 紀一郎 日本産業株式会社 河野 渡 株式会社山陽鋳造所 田淵 啓益 合資会社三田鋳造所 岡崎 昌教 有限会社石原鉄工所 監事 勝矢 定 土肥工業株式会社 太田 英利 株式会社太田鉄工所 参考情報: 岡山工業会初代理事長となった鴻上社長の光軽金属工業 創業の歴史
1944年(昭和19年) 5月 - 住友通信工業の協力工場として発足。
1959年(昭和34年)10月 - 埼玉県上尾市へ東京光軽金属株式会社を設立。
1966年(昭和41年)10月 - 銅合金鋳造部門を分離し光友合金工業株式会社を設立。
1968年(昭和43年) 6月 - ダイカスト部門を開設。
1971年(昭和46年)10月 - 瀬戸工場を開設。
1973年(昭和48年)1月‐埼玉県上尾市から岡山県赤磐郡瀬戸町に移転 -
1966年
昭和41(1966)年社団法人岡山県機械金属工業連合会設立
戦後に県内各地にできた鋳造など産業単位の協同組合や団地の組合など多数の工業系の組合の連合会として社団法人岡山県機械金属工業連合会が設立された。さらにこの連合会が母体となって、年金基金や鉄工会が順次設立された。
岡山県機械金属工業連合会 歴代理事長
就任日 氏名 S41(1966)年 滝沢満雅(設立者) S50(1975)年 滝沢満雅 S60(1985)年 湯浅和夫 S63(1988)年 小橋照久 H3(1991)年 滝澤忠義 H14(2002)年5月29日 勝矢一成 H18(2006)年7月25日? 須増仁志 R2(2020)年7月22日 宮原一也 R5(2023)年9月8日 宮原一也 事業清算し解散 -
1971年
昭和46(1971)年 年金基金設立
昭和46年(1971年)2月国の厚生年金と企業年金を扱う岡山県機械金属工業厚生年金基金が、当連合会を母体として設立された。
岡山県機械金属工業厚生年金基金 歴代理事長
就任日 氏名(理事長・常務理事) S46.2.15
(1971)滝沢満雅(設立者)
常務理事 S46.2.15 池端辰男 S47.2.1 妹尾達道(伯為)
S49.9.1 本行弘士(ほんぎょうひろし・49歳、元厚労省で年金に精通)S59.12.1 湯浅和夫 S63.6.7 小橋照久 H3.6.18
(1991)滝澤忠義 常務理事 H2.4.1土屋文明 H10.4.7藤田脩三 H13.10.9 勝矢一成 常務理事 H14.6.21 松田吉隆 H19.6.7 須増仁志 H28年4月西日本機械金属企業年金基金を設立 R1.10.1
(2019)宮原一也 常務理事 R1.10.1 三宅浩司
4月代行返上、10月岡山県機械金属企業年金基金統合完成R4.4 宮原一也 基金名称を「全国ビジネス企業年金基金」に変更。 S49年に3代目の常務理事就任の本行弘士氏は、元厚生労働省社会保険事務所長(49歳)。全国でもめずらしい民間の総合型厚生年金基金で1A型(掛け金受け入れから年金支払いまでの年金業務を一括して行う)を導入し、システム化を行い事務処理費用最小化で今に至る基金の事業安定化を実現した。
昭和40年代の公務員には不文律の役職者早期退職慣行があり、課長級では53歳前後だったという。常務理事2代目の妹尾氏は、海軍経理学校に学び終戦後は北海道で漁業協同組合設立などに尽力、岡山に戻って組合などの団体の連合組織の必要性を説いて、連合会設立を実現。当時、岡山市議会議員に立候補し改名して2度目に当選した(平成元年岡山市議会議長)、その後も連合会と鉄工会の常務理事を務めた。
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1974年
昭和49(1974)年協同組合岡山県鉄工会設立(通称鉄工会)
社団法人岡山県機械金属工業連合会が母体となり協同組合岡山県鉄工会を設立した。当時の金融機関が扱いたがらなかった中小企業の資金調達の信用支援するために、3年前に設立された岡山県機械金属工業厚生年金基金の掛け金収入を預け入れる複数の銀行から優遇金利を受けられるようになったことに着目。鉄工会は組合員の手形を買い取り、金融機関に優遇金利でより高値で手形割引してもらい、差額を組合が得る「三方良しの仕組み」だ。
さらに、団体生命保険の仲介やガソリンなど燃料販売事業などの組合事業を行った結果、組合員の需要多く安定した経営ができるようになって、事務局員の給与も出せるようになったという。注:長期プライムレートは、1970年代は9-8%台、1980年代8-5%と次第に低下していったが、上乗せ金利もあり年金基金の責任運用目標利率の5.5%を大きく上回るので基金は運用に困ることはなかった。また、預金として受け入れる金融機関としては、資金残高が安定して増える年金基金は信用力の高い優良顧客であった。
中小企業金融では、当時の金融機関は融資に当たって、経営者個人保証を求めるのが当然であった。融資書類には、経営者の連帯保証欄があり署名し印鑑証明書と実印を押すことが必ず求められていた。企業の財務状況によっては、役員や親族の連帯保証まで求めることも多かった。
1996年ころでも、突然の世界的金融危機で海外顧客の破綻で倒産した中小企業経営者が、本人親族経理担当部長まで連帯保証していてひどい目に遭ったという実例もあった。
少子高齢化で、経営の事業承継が困難な状況が発生してくるにしたがって、こうした過酷な金融慣行が中小企業の後継者不在の大きな原因となっているとの指摘もされるようになり、金融庁が指導に乗り出し適切な運用を要求するようになった。参考: 経営者保証に関するガイドラインの歴史
中小企業が融資を受ける際に、経営者個人が連帯保証人となることが一般的でした。経営者の思い切った事業展開や、事業再生、円滑な事業承継を妨げる要因となるという問題点が指摘され経営者保証のあり方を見直す動きが加速しました。
2013年2月には、金融庁と中小企業庁が中心となり、有識者による「経営者保証に関するガイドライン研究会」が設置され、その成果として「経営者保証に関するガイドライン」が策定・公表された。
中小企業の経営者保証に関する契約時や履行時等における中小企業、経営者、そして金融機関による対応についての中小企業団体・金融機関団体共通の自主的ルールとして、2014年2月から運用が開始されました。金融庁:個人保証に依存しない融資慣行の確立に向けた取組の促進について
こうした取り組みの成果として、中小企業の金融時の信用事情は好転するようになり、手形割引でも市中銀行の対応は従来のような過酷なものではなくなってきた。
ただ、こうした金融事情は鉄工会の手形割引事業にとっては逆風となった。手形からファクタリングや電債へ
世の中のDX進展で大手企業の支払い業務を一括して金融機関が引き受けるファクタリングが急増し、また電債も普及するようになり手形発行が激減するようになってきた。時代の変遷ではあるが鉄工会の目的の一つが終わることとなってきたのだ。手形割引と金融
手形とは、日本独特の支払い慣習で、一定の期間後に現金で決済する約束なので約束手形ともいう。決済期日に手形交換所で当座預金から引き落としで決済されるが、当座預金残高が手形総額より少ないと全手形が不渡りとなる。企業の破綻が表面化することになり、それを避けるために支払いを強制する機能をもっていた。
売上代金として手形を受け取った側では、満期まで持ち越し手形交換所で現金化したり裏書して支払いに利用できるが、現金必要な場合は金融機関に持ち込んで手形を期日までの金利分を差っ引いて買い取ってもらうがこれを手形を割引くという。金融機関は手形発行者と持ち込み者の信用レベルを考慮して融資利率を査定し、信用がない場合は買い取りを断ることもある。なお、金融機関が割引いた手形が不渡りになった場合、手形を割引依頼した企業(裏書人)が、金融機関に対して買い戻す義務を負う。
戦後長く、中小企業の信用レベルが低く金融機関は、中小企業が持ち込む手形の割引を渋っていた。また、引き受ける場合は高金利を課した。
金融機関が扱う金利には、短期・長期プライムレート(金融機関が信用力の高い優良企業に対して資金を貸し出す際に適用する、最も優遇された貸出金利)、固定金利・変動金利、スプレッド+タイボー(東京銀行間取引金利)、さらに融資先の信用査定で変化する上下するスプレッドがあり、融資先の信用力で大きく変わる。
政府は、下請法の支払い現金化方針で、手形廃止を進めていて2026年に手形交換所を廃止する。また管理しやすいDX(デジタルフォーメーション)の電債やファクタリングの利用が進んでいる(電債もファクタリングも現金支払いではないことに留意必要)。
昭和49(1974)年協同組合岡山県鉄工会設立時役員
発足時役員リストでは、岡山工業会の役員が鉄工会の副理事長に就任しており中小企業金融支援との関連性がうかがわれる。
一般社団法人岡山県機械金属工業連合会を母体として、中小企業金融支援などを目的に組合を設立した。
昭和49(1974)年10月21日設立総会、理事員数7名とし、初年度役員を下記とする。役員 氏名 法人名 代表理事 滝沢満雅 (株)滝沢鉄工所 副理事長 湯浅和夫 東洋重機(株)(注:(社)岡山工業会役員) 専務理事 妹尾達道 員外(最初に連合会発足呼びかけた) 理事 井上勝義 (株)絵図鉄工所 理事 山本智加来 津山鉄工協同組合 理事 中塚甚太郎 児島金属工業協同組合 理事 片山覚而 片山工業(株) 監事 岸上菊次 岸上車体工業(株) 監事 松浦 操 松浦自動車(株) 昭和50年2月3日臨時総会、2月17日理事会で定款変更理事員数を7名以上10名以内、監事員数を1または2名に
役員 氏名 備考 代表理事 滝沢満雅 副理事長 湯浅和夫 (注:(社)岡山工業会役員) 副理事長 井上勝義 専務理事 妹尾達道 昭和50年4月末日まで休任(後、岡山市議会議長) 理事 山本智加来 理事 中塚甚太郎 理事 片山覚而 理事 岸上菊次 監事 松浦 操 事務局長 元岡敏夫 採用年月日昭和49年11月1日 注:鉄工会設立時の副理事長に就任された湯浅和夫氏は、11年前に設立された社団法人岡山工業会の理事で、13年前にできた協同組合岡山鉄工センター設立時の理事(長?)と思われる。ご子息の湯浅信夫氏はその後同センターと岡山工業会の理事長を長く務められ岡山工業会の理事長交代時に理事長としての引き継ぎ事項として、岡山工業会設立当時の中小企業金融事情と設立目的を教えてくれた。
連合会と年金基金の歴代理事長一覧を見ると、両団体の理事長が同一人であることがわかる。鉄工会も同様で、3団体が人的には同じ役員により運営されていたことを裏付けている。
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2012年
4月平成24(2012)年4月 連合会が社団法人から一般社団法人へ改組
2006年の公益法人制度改革により、従来の社団法人制度が廃止され、一般社団法人と一般財団法人が新たに設けられ2008年に施行されることになった。
改正の目的は、天下り批判への対応・主務官庁の裁量介入防止・情報公開強化・自主自立的運営促進だと。一部の社団法人の不祥事をきっかけに、社団法人が税制面で優遇されていた部分の是正策として、過去蓄積の公的資金部分を分離し所定の期間内で消費することが求められる改組が必要となり、2012年4月に一般社団法人岡山県機械金属工業連合会となった。
諸先輩がやり繰りし蓄積した資産を計画的に消費することが求められることから、団体としての存続に悪影響が予測されることとなった。
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2016年
年金事業が全国年金へ
1990年のバブル崩壊以降、長く7-8%レベルだった金利水準が規定の運用目標利率の5.5%を下回るようになると、多くの年金基金が赤字経営に転落し、一部の民間企業年金の投機的資金運用失敗による破綻が大々的に報道され、民間の企業年金が国の厚生年金事業の代行引き受けを行っていたことが問題視され、2013年6月19日、財政状況の悪化が深刻な厚生年金基金(以下「基金」という)を5 年以内の解散を促すことや、目標利率を実質的に大きく引き下げることなどを柱とする改正厚生年金法が成立。さらにその後、国の厚生年金の代行事業部分は全て国へ返還することとなった。
※参考資料
・厚生年金基金の制度改正に係る解説(りそな銀行)
・2013年の厚生年金法改正は、個別の厚生年金基金が抱えていた運用目標利率5.5%と市場の金利低下による運用実績の乖離による財政問題を解決するため、基金制度そのものを抜本的に見直したもの(Geminiの解説)岡山県機械金属工業厚生年金基金も金利低下により目標利率の5.5%以上が困難となり赤字に苦しむようになっていた。
郷土岡山にゆかりのある日本トップクラスの金融のプロの方がボランティアで資金運用指南を申し出てくれ、新しい運用執行理事として参加いただき、その指導を受けて新しい運用システムを採用したところ、運用成績は抜本的に向上し目標利率を大きく超えることができるようになって経営は安定に向かった。
運用委員会・アドバイスや管理を委託する信託銀行・運用方針(長期・中期・短期と分けて内外の優秀ファンド多数に資金分散して運営を委託し成績評価し適宜入れ替え・為替変動対処のヘッジ費用を惜しまない)という運用管理システムが功を奏したのだ。自前の管理システムにより事務処理費用も極小に抑えられ、少ない事務職員数も特徴だった。
他方、多くの年金基金は、運用改善ができず 年金の赤字補填を求められた加入企業は問題意識を持つようになり、多くの企業年金は、これをきっかけに清算に向かうこととなった。税理士など多くの企業アドバイザーは、企業経営者に対して早期に年金基金脱退を推奨するようになり、当基金でも一部会員が脱退を選択するようになった。
しかし、当基金は年金法改正で目標利率が大幅に下げられたことと相まって、運用改善成果で業績が大きく改善した。このため、せっかくここまできたのに清算し運用利率が低い国の年金や他の年金へ移ることはないとの意見が大勢を占め、団体の存続を選択した。
国の年金業務代行返上で資金規模が減少した結果、独立ファンドとして必要な資金規模としては不十分となった。全国の企業年金にも加入していただき規模拡大が必要と判断し、岡山県だけの年金基金から全国年金へ転身を選択した。
京都・尼崎の地域年金の賛同を得て移行のための改組の後、「全国ビジネス企業年金基金」へと改名することとなった。新規加入を勧誘するための新しい組織も作ることができ、理念と当基金の運営に賛同する著名人の支援もいただけるようになった。
幸い、その後全国から多くの新規加入会員を得て、現在は名実ともに全国系3つの民間年金基金の一つとなり、大きく雄飛できたことは私たちの誇りでもある。
全国年金となったことにより、国の監査で岡山県の地方団体に職員兼務や事務所の共用などの便宜供与が問題視されるようになってきた。一般社団法人と協同組合の事務局体制の維持に赤信号がともったのだ。
年金基金年表
1971年2月 岡山県機械金属工業厚生年金基金設立 2013年6月 改正厚生年金法成立「成績不良基金の5年内解散など」 2015年1月 関西以西の機械金属厚生年金基金で会議。
京都・尼崎・岡山が統合を進めることに。2016年4月 西日本機械金属企業年金基金を設立 2019年4月 代行返上し、岡山県機械金属企業年金基金へ移行。 2019年10月 西日本機械金属企業年金基金の統合完成 2022年4月 基金名称を「全国ビジネス企業年金基金」に変更。 -
2023年
9月8日資金枯渇で一般社団法人岡山県機械金属工業連合会は清算へ
一般社団法人に改組したことに伴い、公的資金の計画的消費で、優良従業員表彰事業に資金を使用してきたが、その結果次第に資金枯渇してきた。専任の事務局員がおらず事務局能力面から連合会独自の事業を企画運営することが難しく、現行の優良従業員表彰式や理事会・総会開催を維持する程度である。これでは会員へ年会費増額提案は難しいとの意見があり、資金面で先行き不透明事態となった。
岡山県の産業指導機関として、公益社団法人岡山県産業振興財団が発足し体制充実しおかやまテクノロジー展 OTEX など大々的見本市や、各種補助金獲得支援や教育指導を行うようになった。数多くの異業種交流会の事務局を担当運営し、各種産業専門教育活動を行うだけでなく、毎年20名程度の中小企業の後継者を対象に経営者としての意識改革を促す「後継者育成塾」を開催し、さらに塾生OB相互のネットワーク「吉備継世会」を運営するなど多彩な支援事業により、県内の産業界・工業会に大きな好影響を及ぼしている。
また、岡山県工業技術指導センターが県工業試験所から改組発足し充実するなど、工業界を支援する県の体制整備が進み、団体の設立目標がすでに達成されているのではないか、との意見が出るようになった。そして、直接的には資金枯渇する前に、清算を選択すべしとの意見が主流となり、総会で清算を決議することとなった。諸先輩が大切に育ててきた団体で申し訳ないとの気持ちから新たな事業を行い存続の道を探るべきとの意見も出たが事務局能力がそこまでないとの判断もあり、理事会としては解散・清算すべしとの意見が大勢となり、清算決議に至った。
こうして、令和5(2023)年9月8日に歴史を閉じて法人登録が抹消された。 しかし、団体名がなくなることを惜しむ声があり、同じ事務所で事務局員も兼務の協同組合鉄工会に事業を引き継ぐことが決まり、協同組合岡山県機械金属工業会に改名することとなった。
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2025年
改名した協同組合岡山県機械金属工業会も清算へ
連合会の名称を引き継ぐことになり改名した協同組合であるが、2025年になると、組合の主要事業であった手形割引が国の下請法の取引改善政策により2026年には手形が廃止され手形交換所もなくなることになり、手形交換事業継続が困難事態となった。
さらに組合事業の柱の一つだった団体生命保険の引き受けが、会員数減少で保険会社から契約更新を拒否される事態となり、手元資金はあるものの今後の事業見通しが立たなくなった。
このため、2025年6月開催の協同組合総会でついに、協同組合も解散方向とすることが決議され、来年の総会で清算を行うこととなった。
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発足の経緯解説
岡山市の工業史と戦後の中小企業振興策 岡山市HPより
岡山市の工業は、明治初期には農産物を原料とする酒、味噌、醤油などの食料品が中心であったが、明治14年に近代化設備を誇る岡山紡績所が設置され、近代工業の第一歩を踏み出し、繊維工業と食品工業部門を二大支柱として次第に発展していった。
大正時代、特に第一次世界大戦後は、岡山市の工業が飛躍的に発展した最初の段階である。前述の繊維工業及び食品工業のほかゴム工業の勃興があった。
昭和に入って恐慌の時期を境に繊維工業の比重は減少し、食品工業、ゴム工業さらに船舶用及び農業用石油発動機の著しい生産増加により機械金属工業の比重が増加していった。
昭和13年に軍需産業指定工場が続出した結果、繊維工場の構成比は加速度的に低下したが、その反面、機械金属工業、化学工業及び食品工業は漸次増加の傾向をたどり、やがて太平洋戦争に突入すると既存の各種工場は軍需品生産工場に転換し、軍需工業一本の工業体制が確立された。なかでも、昭和16年に児島湾の干拓事業が完成した岡南地域は、軍需工場の新設が相次ぎ、終戦に至るまでの10年間は飛躍的に発展していった。
戦後、岡南地区の大工場は解散閉鎖して工業の復興は容易に進展しなかったが、復興の努力は随所にみられ、戦後3~4年を経過すると商業の回復及び農業生産力の増大に伴い、いち早く食品工業が復興し、ついで繊維工業など諸工業が次第に復興のきざしを見せ始めた。
昭和24年の為替レート決定による外国貿易の再開と朝鮮戦争による特需景気により日本経済は発展の期を迎え、国土開発、産業振興のスローガンのもとに公共投資が開始されたが、岡山市においても岡南地区の工業基地化を目指して岡山港の改修と道路の整備が急ピッチで行われ、昭和28年に工場設置奨励条例を制定して企業誘致に努めた結果、同地区一帯の工業化が急速に進展していった。
昭和30年代の高度経済成長期に入ってから設備投資意欲は一層活発化し、岡南、新岡南、西大寺地区の臨海部及び東岡山地区一帯を中心とする内陸部に新規企業の進出が相次ぎ、生産額は著しい伸びを示した。
一方、既存の中小企業においては、大企業との生産性格差の拡大、労働力の逼迫(ひっぱく)による賃金格差の縮小等から存立基盤をおびやかされる結果となったため、 岡山市においてはこれら中小企業の健全な育成を図る目的から団地造成による協業化を促進した。昭和36(1961)年5月に全国中小企業団地のトップを切って久米地区に(協)岡山鉄工センターが・・・完成した。 ※出典 岡山市の工業の概要(岡山市HP)
協同組合岡山鉄工センターや多くの協同組合や中小企業ができたが、当時の金融機関が中小企業の手形割引を引き受けなかったため、中小零細企業には金融支援が必要との認識が生まれ理解を示した岡山市の賛同を得て、組合と中小企業経営者らが協力し支援組織として市の拠金を得て昭和38(1963)年3月12日社団法人岡山工業会が発足した。岡山市の拠金を融資保証に利用することで会員の組合や中小企業は手形割引など金融機関から融資が受けられるようになったという。
岡山工業会と岡山県機械金属工業連合会の役員には兼務の方も多かった。連合会はその後年金事業を行うことになり、会員からの毎月の掛け金収入がファンドの資金となり、それを背景に金融機関の協力で優遇金利を得られることを利用し信用事業として手形割引や各種仲介・燃料販売などを行う協同組合岡山県鉄工会を設立した時も、上記の岡山工業会の信用補完による中小企業金融支援は事業モデルになったと思われる。
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岡山商工会議所
概要と沿革
岡山商工会議所は岡山市内の企業や事業者約7,500社が業種や事業規模の大小に関わりなく会員となって、商工業の繁栄や地域の発展のために活動を行っている総合経済団体です。明治12年12月に中四国初、現存する全国515商工会議所の中では全国9番目に設立
商工会議所は、国の法律「商工会議所法」に基づいて設立された商工業者の会員組織による「地域総合経済団体」
岡山商工会議所ビルの1Fに広い商工会議所事務局と多数事務局員がおり、ビル内には貸し会議室があり、また多くの団体・企業や新聞記者クラブなどが入居している。多数の事務局員の人件費を含め、その運営費用は岡山市の補助金・会員の会費・開催事業への参加費でまかなっているという。
岡山県機械金属工業連合会・岡山県機械金属工業厚生年金基金・鉄工会の3団体の事務局も、岡山商工会議所会館2Fの一室に共同事務所を構えていた。
公益社団法人岡山青年会議所
岡山県の企業人育成には、JC 岡山青年会議所の存在を抜きにしては語れない。2010年の60周年記念誌には、歴代の理事長の氏名や業績が記載されているが、その後の岡山県政治・経済界の重鎮がそこから育っていったことがわかる。
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経営者会合
県内の工業経営者が定期的に顔合わせる機会
2025年現在、岡山県内の工業経営者が一同に会する機会をまとめてみた。
銀行の会 都銀・地銀・商工中金・日本政策金融公庫(中小公庫)の融資先経営者の友の会・役員会で、経営者や後継者の会がある 岡山県中小企業団体中央会 総会や役員会では県内の商工業の組合代表者が集まる 岡山県商工会議所連合会 各市町村単位の商工会議所の県単位の連合会 岡山県商工会連合会 地域ごとにある商工会の県内の連合会 岡山県経済団体連絡協議会 県下の経済5団体、岡山県商工会議所連合会、岡山県経営者協会、社団法人岡山経済同友会、岡山県中小企業団体中央会、岡山県商工会連合会を構成団体 全国ビジネス企業年金基金 岡山県機械金属工業厚生年金基金が母体となっているため、役員には岡山県の工業経営者が多い 異業種交流会 岡山県産業振興財団が組織し事務局務める中小企業の異業種交流会で、多数あるプラザとその連合会・自立化推進研究会の4研究会とその合同会、および後継者育成塾OB会の吉備継世会 岡山工業会 岡山市の工業経営者の団体で岡山市とも交流がある一般社団法人。2024年7月に工業用地取得困難問題を岡山商工会議所と連名で岡山市長に要望した。 -
岡山県
産業史岡山県の産業
岡山は、地形的に南の四国山脈と瀬戸内海、北の中国山地に挟まれて気候温暖、台風の大雨や風雨や冬の大雪も平野までは届かず、大地震もなく、広い蒜山高原を源流とする三大河川(吉井川・旭川・高梁川)により干ばつも少なく、しかも中国四国地域では唯一最大規模の広い平野があり、さらに瀬戸内海に面し多彩で豊富な農産物・漁獲と、山陽道と瀬戸内海の海運という交通の便に恵まれた地域である。


古代には吉備王国があり日本のたたら製鉄業の中心地で強大を誇り日本でも有数の大きさの古墳や最古級の遺跡も多数存在している。山々から製鉄原料の砂鉄を切り出したために下流域が埋まって、吉備の中海という広大な浅海が陸地になって現代の地形ができたという。
たたら製鉄の中心地が島根に移った後、江戸時代は備前・備中は池田藩となり、児島湾の干拓や旭川の洪水対策と新田開発を目的とした巨大放水路百間川の開削工事により広大な新田を獲得し富裕となった。
一方、倉敷は幕府直轄の天領となり、瀬戸内海を利用した製塩業も大きく発展した。広い平野を背景に、農業が主要産業で米麦綿花、い草栽培を背景に酒造りや紡績業・畳表生産が盛んだった。戦後は、食料不足対策で農業機械生産が増加し一時は日本の農機の最大の供給基地となった。
広島県東部の三菱重工三原製作所の製紙機械や印刷機、倉敷南部の三菱飛行機生産と戦後の三菱自動車製作所、玉野の三井造船や舶用エンジン、福山や水島の製鉄所の設備メンテナンス、農機具のヤンマーの製造子会社で岡山市内にあったセイレイ工業などの下請け企業が機械加工技術指導を受けるなどで次第に成長してきた。紡績から分化したジーンズ生産では児島地域や県西部が世界的にも有名で、畳表生産から模様織の花茣蓙へ進化しブルーシートへと発展した織機とそれを利用した産業も起こった。
県中部の津山では、ステンレス加工産業が成長し現在は津山ステンレスネットを形成している。幕末から明治初期にかけての岡山県の主要産物は、米・麦・綿花でこれを利用した酒造りと工業では紡績業が盛んだった。今に続く倉敷紡績の発展が目覚ましい。
紡績業以外で全国中における岡山県で顕著な産業(15)として,煉瓦が4位,畳表・茣蓙・花莚が1位,麦稈経木真田が1位に位置していることなどがあげられるであろう。特に,畳表・茣蓙・花莚は,1895年は織物業の2倍以上の生産額を示しており,紡績業に匹敵する産業である。また,1905年においても織物業を上回る生産額であることからすると,当時の岡山県の最重要物産であったといえる。さらに,1919年には織物業が畳表・花莚を上回り,紡績業に続く大きさとなっている
※麦稈経木真田(ばっかんきょうぎさなだ)とは、麦わらや薄く削った木材を平たくつぶし、真田紐のように編んだもの。明治時代以降に岡山で製造が始まり、欧米に輸出された。麦わら帽子の材料。
岡山県資料 水島工業地帯概要
水島工業地帯は、現在の岡山県の製造品出荷額等の約半分を占めており、岡山県産業の中核をなしています。
発展の歴史
現在の水島臨海工業地帯がある水島地区は、戦前、漁業と干拓農業を主とする農漁村でした。
戦後、1953年に岡山県は、大型船舶の入港を可能にするために、船舶泊地の浚渫に着工し、発生する浚渫土砂で海面を埋め立てて工業用地を造成しました。
こうした中、「大企業の誘致によって産業構造を高度化し、その影響下で中小商工業や農林漁業対策をはじめ、終局的に各産業のすべてを栄えさせ、県民生活の向上を図る」という構想の下に、岡山県ではさまざまな企業を誘致してきました。和 暦 西 暦 出 来 事 天正12年 1584年 宇喜多秀家による高梁川河口潮止め堤防の築造 元和~寛永 1600年代前半 高梁川河川の干拓、児島と陸続きになる 大正6年 1917年 三井造船玉野造船所設立(三井造船100年史) 大正14年 1925年 東高梁川が廃川地となる(454ha) 昭和18年 1943年 水島臨海鉄道の開通 三菱自動車工業(株)水島製作所が操業開始 昭和20年 1945年 水島空襲、工場が壊滅 昭和31年 1956年 (株)クラレ倉敷事業所(玉島)が操業開始 昭和35年 1960年 三菱ガス化学(株)水島工場が操業開始 昭和36年 1961年 ENEOS(株)水島製油所が操業開始 中国電力(株)水島発電所が操業開始 昭和39年 1964年 三菱ケミカル(株)岡山事業所が操業開始 岡山県南地区が新産業都市に指定される JFEスチール(株)西日本製鉄所(倉敷地区)が操業開始 昭和42年 1967年 倉敷市・児島市・玉島市が合併し、倉敷市に 2020年代の岡山県の工業
岡山県の工業の現状は、岡山県産業振興財団が主催しているOTEX(おかやまテクノロジー展)が解りやすい。世界有数のシェアを持つ中堅企業に育った元中小企業や元気印の中小企業が多数出展する岡山県内製造業の技術展示商談会だ。
岡山県は、優れた技術や製品を持つ企業が多くあり、県内総生産のうち製造業の占める割合が全国平均を大きく上回る「ものづくり県」です。
『おかやまテクノロジー展(OTEX)』は、機械系ものづくり企業の展示商談会としては中四国最大級で、「ものづくり県おかやま」を広くアピールするため、2016年から開催しています。
OTEX2024リアル展は2日間で過去最高となる延べ12,580人が来場
リアル展スライドショー(youtube動画)
- 開催日時 2024年11月13日 ~ 2024年11月14日
- 会場 コンベックス岡山 大・中・小展示場
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謝辞
編集後記2団体が解散する事態となり、往時の活動など事績を残したいとの意見がでて、各団体理事長の宮原様、専務理事の三宅様の賛同を得て設立からの経緯等調査開始したところ、団体発足当時の方々は既に多くが鬼籍に入られており、その経緯について知っておられる方が少なく、わずかに残っておられるご高齢の岡山工業会の元理事長湯浅信夫様と連合会の元専務理事松田吉隆様のお話が参考になった。今回の企画で、団体の設立経緯が記録として残せたことは幸甚の極みと思えます。また、年金基金の職員岡様に提供戴いた団体の過去資料が参考になった。他にも多数の資料を引用し、いずれも文中に出所を記載した。
ご協力いただいた皆様には、深く感謝申し上げます。岡山県機械金属工業連合会関係3団体記録編纂の会有志一同
編集 藤原愼二